カルマという言葉の本当の意味は、
行為という意味です。
ただ、カルマというものを因果応報の原理として捉えるのなら、
カルマは報(ほう)、報いという意味で捉えることができます。
種を撒いた結果として、どんな実がなり、その実を刈り取るのもまた自分ということです。
良い実ができれば、それを刈り取ることをとてもいい収穫です。
逆に悪い実はできれば、それを刈り取ることはとても辛いこととなるでしょう。
結局、カルマという言葉に良し悪しはなく、
因果の法則で捉えるべきなのです。
そうした場合、前世において撒いた種が今世において実り、
それを刈り取っている自分という姿が、誰にもあります。
一生懸命に陰徳を積んでくれば、それが実り、
なんでこんなにも幸運なのだろう・・・といった人生を送っている人もいます。
逆に、なんでこんなにも頑張っているのに・・・という不遇な人もいることでしょう。
ただ、ここで問題なのが、その報いをどんな気持ちで受け止めているか?
ということです。
陰徳を積むような魂の人は、
常に、素直さと謙虚さが身に付いているものですし、
なんでこうなるの?的に考える魂の傾向としては、
執着を持ちやすいということがいえます。
その結果、また新たな種を撒いてしまっていることになるのです。
心にどんな種を撒いているのか?
24時間どんなことを考え、どんな言葉を発し、どんな行動をしているかが、因果応報の「因」の部分になるのです。
先々の人生を考えるならば、良き種を心の撒き続ける努力をしておいたほうがいいと言えるのです。
また、カルマというものについては、折に触れお話していこうと思います。